津軽錦とは

簡単な津軽錦の説明です
(1) 津軽の文化遺産
(2) 津軽錦の特徴
(3) 津軽錦の名前は
(4) 津軽錦発祥の謎
(5) 津軽錦の絶滅
(6) 津軽錦の復元
(7) 津軽錦の改良
(0) トップページへ

(1) 津軽の文化遺産

江戸時代(1770年頃)から津軽藩で飼育されていた古い金魚で、「金魚ネブタ」のモデルといわれています。
津軽藩では武士だけが飼うことが許されていました。


(2) 津軽錦の特徴

1) 背びれが無く
2) 尾びれが長大
3) 褪色(体が赤くなること)が遅い
4) 体がランチュウより細長く、腹びれなどが金色に光る
こういう特徴を備えた金魚は津軽錦のほかにありません。
※寒冷地で特殊な方法で飼育されますから、この外にも特徴があります(別途説明)。


津軽錦 津軽錦-褪色後
津軽錦 津軽錦-褪色後

(3) 津軽錦の名前は

昔は「地金魚」と呼ばれていましたが、昭和2年に澄宮(三笠宮)殿下にお目にかけたときに弘前観魚協会によって「津軽錦」と命名されました。
津軽錦という新品種の金魚が存在することを世間に発表したのは松井佳一博士(昭和10年)。
地元の人はそれが貴重な金魚であるとは知らなかったのです。


(4) 津軽錦発祥の謎

津軽錦タイプの金魚は昔の日本にはありませんでした。したがって、津軽地方で作られた金魚だと言われます。
津軽の人がどうして作ったのか、長い間の謎でした。
しかし、文献と交配実験などの研究の結果、元禄時代(1700年頃)に移入された「普通の金魚」と明和年間(1770年頃)に藩士小和田覚兵衛が京都から持参し殿様に献上した金魚(ランチュウの先祖)との交配で出来た、とする説が有力です。


(5) 津軽錦の絶滅

昭和23年に青森県庁は津軽錦を増産しようとして、北海道大学水産学部に研究を委託し、津軽錦の親魚をもとめて、新聞・ラジオで県下によびかけて徹底的に捜しましたが、黒石市で雌2尾(雑種)が発見されただけでした。
津軽錦は太平洋戦争中に絶滅していたのです。


(6) 津軽錦の復元

津軽錦発祥の謎を解くために、昭和34年にランチュウとアズマニシキ等の雑種をつくり、以後は外界からの金魚の移入を断って、累代交配を重ねるという実験を行った結果、28年後(15世代)に昔の津軽錦と同じ金魚ができている事が証明されました。
その金魚は、伝統の津軽錦の特徴をすべてそなえており、品種としても固定(全部の雑種が親と同じ型になること)しています。


(7) 津軽錦の改良

津軽錦は寒冷地で育ったために、地味な色彩をしています。この欠点を改良するために、
(1)モザイク透明鱗の美しい系統
(2)早く赤くなる系統
(3)ランチュウのように瘤が出る系統などが原形から分離されています。
津軽錦を昔のように盛んにするため、過去十数年間にわたって津軽地方の会員に毎年300尾程度程度を配布していますが、昭和33年に実験開始して以来、この金魚を入手した一部の人がランチュウと交配して「江戸時代からの弘錦」などと称したり、その捏造記事が雑誌に載ったこともあります。
昔の津軽錦は戦時中絶滅して、現在は無いのですから、騙されないように。